歴代のオリンピックを当時の出来事とともに振り返る②【第12回~第22回】
こんにちは!
前回の記事では、第1回~第11回までの夏季オリンピックについて書かせていただきましたが、
こちらの記事では、第12回の中止となった東京オリンピックから第22回モスクワオリンピックまでについて、当時の出来事・世界的なトピックスとともに振り返らせていただきます。
- 歴代の夏季オリンピックについて(第12回~第22回)
- 第12回 1940年 東京オリンピック・ヘルシンキオリンピック
- 第13回 1944年 ロンドンオリンピック(イギリス)
- 第14回 1948年 ロンドンオリンピック(イギリス)
- 第15回 1952年 ヘルシンキオリンピック(フィンランド)
- 第16回 1956年 メルボルンオリンピック・ストックホルムオリンピック
- 第17回 1960年 ローマオリンピック(イタリア)
- 第18回 1964年 東京オリンピック(日本)
- 第19回 1968年 メキシコシティーオリンピック(メキシコ)
- 第20回 1972年 ミュンヘンオリンピック(西ドイツ)
- 第21回 1976年 モントリオールオリンピック(カナダ)
- 第22回 1980年 モスクワオリンピック(ソ連)
- まとめ
歴代の夏季オリンピックについて(第12回~第22回)
第12回 1940年 東京オリンピック・ヘルシンキオリンピック
ウィキペディアによりますと、1936年時点で、第12回オリンピックは東京での開催が決まっておりましたが、支那事変の勃発や軍部の反対などから日本政府は1938年に開催権を返上したということです。
また、その後フィンランドのヘルシンキでの開催が決まりましたが、こちらも第二次世界大戦(1939年~1945年)の影響により、やむなく中止となりました。
第13回 1944年 ロンドンオリンピック(イギリス)
1944年(昭和19年)の第13回オリンピックは、ロンドンで開催予定でしたが、こちらも第二次世界大戦の影響により、前回に続き中止となりました。
第5回冬季オリンピックのコルチナ・ダンペッツオオリンピックも中止になっています。
1944年には、ノルマンディー上陸作戦、東南海地震などがありました。
第14回 1948年 ロンドンオリンピック(イギリス)
第14回のロンドンオリンピックは、1948年(昭和23年)7月29日~8月14日まで行われました。第12回・第13回と二度に渡り中止となったため、12年ぶりのオリンピックとなりましたが、第13回開催地に決まっていたロンドンで繰り越しで開催されました。
参加国数は59、実施競技は20競技。
ウィキペディアによりますと、第二次世界大戦の敗戦国である日本やドイツは参加が認められなかったということです。
やはりアメリカがメダル獲得数でも大きく2位のスウェーデンを上回る結果となりました。
1948年は、第一次中東戦争、イスラエル独立宣言、世界人権宣言の採択などがありました。
第15回 1952年 ヘルシンキオリンピック(フィンランド)
第15回のヘルシンキオリンピックは、1952年(昭和27年)7月19日~8月3日まで行われました。
第12回で中止となったヘルシンキ開催ですが、12年ごしに開催された恰好となり、日本も16年ぶり第二次世界大戦後初のオリンピック参加となりました。
参加国数は69、実施競技は18。
メダル獲得数においては、アメリカとソ連が争う結果になっています。
1952年は、サンフランシスコ平和条約の発効、日本が国際通貨基金(IMF)に加盟などありました。
ちなみに、その頃の日本では、1953年テレビ放送開始などありました。
第16回 1956年 メルボルンオリンピック・ストックホルムオリンピック
第16回のメルボルンオリンピックは、1956年(昭和31年)11月22日~12月8日まで行われました。南半球初のオリンピックだったということです。
参加国数は67、実施競技は17競技。
ソ連がアメリカを超える98のメダルを獲得。日本も過去最多の銀メダル10個を含む計19個のメダルを獲得しています。
また、タイトルにストックホルムオリンピックとありますが、こちらは馬術競技のみ1956年6月10日から6月17日まで、スウェーデンのストックホルムで先行して行われたためです。ウィキペディアには、理由として、馬術競技は畜産が大きな産業であるオーストラリアの検疫が非常に厳しく、検疫期間が6か月と長期にわたってしまうためと掲載があります。こちらの参加国数は29でした。
1956年は日ソ共同宣言の調印、日本の国際連合加盟などがありました。
1958年には、東京タワーが完成しています。
第17回 1960年 ローマオリンピック(イタリア)
第17回 ローマオリンピックは、1960年(昭和35年)8月25日~9月11日まで行われました。参加国数83、実施競技18競技15種目。
ソ連が当大会において、金メダル獲得数でもアメリカを上回り、以降アメリカとソ連はスポーツにおいても競争を激化させていったということです。
有名選手としては、マラソンのアベベや、ボクシングのモハメド・アリが出場した大会です。
1960年は、日米新安保条約調印や、カメルーンなどアフリカの国々の独立、日本でテレビのカラー放送開始などがありました。
第18回 1964年 東京オリンピック(日本)
第18回の東京オリンピックは、1964年(昭和39年)10月10日~10月24日まで行われました。
1940年に一度開催権を返上した東京で、日本及びアジア初のオリンピックとして開催されました。
実施競技は20競技163種目。開催前にアフリカの国々が独立したことを受け、参加国数は過去最大の93に上ったということです。
日本は、アメリカ、ソ連に次ぐ3番目に多いメダル獲得数となり、金メダルも16個獲得の結果となりました。
高度経済成長期にあった日本において、やはり当時のオリンピックの効果はすさまじく、東海道新幹線の開業や首都高速の拡張などインフラ整備が革新的に行われたことが有名ではありますが、それ以外にもカラーテレビの普及や、スポーツ流行に伴う各地のスポーツ施設の増加、またゴミ都市と呼ばれていた東京のクリーン化など、様々な形でオリンピック特需はあったということです。
1964年東京五輪については、下記の記事でも詳しく取り上げておりますので、よろしければこちらもご覧ください。
第19回 1968年 メキシコシティーオリンピック(メキシコ)
第19回のメキシコシティーオリンピックは、1968年(昭和43年)10月12日から10月27日まで行われました。
参加国数112、実施競技数が18競技172種目でした。
メダル獲得数ではアメリカが1位、ソ連が2位、そして、日本がこちらの大会でも3位の獲得数を挙げています。
また、当時アパルトヘイト政策を行っていた南アフリカも参加する方向で動いてましたが、アフリカ諸国26カ国がボイコットし、南アフリカの参加は見送られたということです。
1968年は、冬季グルノーブルオリンピック開催、三億円事件、日本のGNPがアメリカについで第2位に向上、郵便番号制度実施などありました。
第20回 1972年 ミュンヘンオリンピック(西ドイツ)
第20回のミュンヘンオリンピックは、1972年(昭和47年)8月26日から9月11日まで行われました。
参加国数123、実施競技数が21競技195種目でした。
ソ連がメダル獲得数で1位、2位はアメリカ。日本は東ドイツ、西ドイツに次いで総獲得数で5位となりました。
また、当大会は、オリンピック史上最悪の悲劇といわれるミュンヘンオリンピック事件が発生したことで知られます。
1972年は、沖縄返還や、ストックホルム会議、札幌冬季オリンピック開催、東北自動車道開通などがありました。
第21回 1976年 モントリオールオリンピック(カナダ)
第21回のモントリオールオリンピックは、1976年(昭和51年)7月17日から8月1日まで行われました。
参加国数92、実施競技数が21競技195種目でした。アフリカの22カ国と中国がボイコットしたため、参加国数は前回大会より大幅に減っています。
メダル獲得数は、ソ連が1位、東ドイツが2位、そして、アメリカ、西ドイツ、日本という順位になりました。
また、モントリオールオリンピックは、1973年に起きたオイルショックの影響を受け、物価高騰のため、大赤字のオリンピックになってしまったということです。
1976年には、昭和天皇在位50年式典や、ロッキード事件、インスブルック冬季オリンピック開催などありました。
第22回 1980年 モスクワオリンピック(ソ連)
第22回のモスクワオリンピックは、1980年(昭和55年)7月19日~8月3日まで行われました。
参加国数80、実施競技数が21競技203種目でした。
ウィキペディアによりますと、前年1979年12月に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、集団ボイコットという事態に至り、前回大会より更に参加国数が減少することとなりました。日本もアメリカや西ドイツ、中国などとともに不参加。
メダル獲得数はソ連が1位、東ドイツが2位となっています。
1980年は、レークプラシッド冬季オリンピック開催、ジョン・レノン銃殺事件、イラン・イラク戦争などがありました。
また前年の1979年に第2次オイルショックが起こっています。
まとめ
今回は、第12回~第22回までの夏季オリンピックについて掲載させていただきました。
世界の経済成長や、そして政治的背景を受けて、オリンピックも様変わりを繰り返してきたことがわかりますね。
反対に、1964年東京五輪の開催は、日本の経済成長に欠かせないものであったことも感じられます。
次回は、第23回のオリンピックからまた掲載させていただきます。
よろしければそちらも是非ご覧ください。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました!